お見舞い

これから中学のときの友達のお見舞いに行ってくる。

20代にして初期のガンにかかり、先週手術を終えたばかりである。
まだ初期だったため、命に別状はないようだが、会社も休職するなど影響は大きい。
そして抗がん剤の副作用として、髪の毛が抜けてしまっているようである。

ここでこの日記を書くのは、3つ感じたことがあるからだ。

1 いつ自分がこのような状況になるかわからないこと
2 入院するという体験は、自分の人生観を変えたということ
3 保険やセーフティネットのあり方について身近に考えられたこと

である。
病名は違うものの、自分自身も昨年の2月に人生で初めて入院したことも関係していると思う。

1 風邪、インフルエンザじゃない、入院

初期症状は高熱(39℃)の風邪。
普段から風邪のときには高熱が出て、2〜3日したら下がるため気にしていなかった。
その日は会社の同僚と1泊2日の小旅行の予定だったし、わざわざ山形から福島まで来てもらうのにキャンセルするのは申し訳ないな、と思い、出かけた。

車の運転中から高熱の影響か気持ち悪い。
旅館についてからも温泉につかり、館内で開かれている地域の舞踊をみていたが、どうも体調がよくならない。
それでも地元のB級グルメや観光スポットなどを何カ所かまわり、帰りの車も運転して帰宅した。
同僚に体調が悪いことを伝え、予定よりも早い到着。直行で自宅に帰り就寝。

翌日は休み。ずっっと寝ていた。高熱でうなされながら。ポカリだけは買っておいてよかった。でも熱が下がらない。おかしい。一人暮らしのつらさを感じる。

その翌日は仕事で群馬に行かねばならない。なんとか2時間強かけて車を運転して会議に参加するものの、もう限界だった。

実家に帰る前に最寄りの病院に行く。平日の午後には年配の方しかいない待合室。名前を呼ばれる。
診察を受ける。症状を伝え、のどの奥をペンライトで照らされる。ベットに横になり、お腹を触診される。
高熱であることから、のどでインフルエンザの検査をされる。細い棒状のものをのどの奥にまで入れられるものだ。独特の気持ち悪さがある。
しばらくして結果が出る。陰性。インフルエンザではない。
ひとまず解熱剤をもらい、実家に帰る。

実家ではあるが、家には人がいない。
両親は父の転勤に母もついていっており、自分は一人っ子だからだ。まあ一人暮らしには慣れているので、つらいこともあるが気を遣わなくていいのは楽である。
とにかく寝る。
薬とポカリとりんごを枕元に置き、ひたすら寝る。経験的に、寝不足が体調不良の原因であることがほとんどだと知っていたからだ。

夜、39.9℃。
明け方、まだ下がらない。
直属の上司に「おそらく明日も出勤できません」といった連絡をする。
「ゆっくり休みな」といった返事をいただける。そしてまた寝る。

翌日、まだ下がらない。
なかなかしぶとい風邪だ。

その翌日、最寄りの病院の紹介だったのか記憶が定かではないが、違う病院に行く。
当時の手帳の文字はひょろひょろしている。
血液検査をしたと思う。当日のうちに結果は出るとのことで、ひとまず帰宅、連絡を待つ。
夕方連絡がある。
どこか深刻な様子である。できればすぐ病院に来てほしいと言われる。なんで今日?と思いながらも出かける。解熱剤の効果もあり、熱は若干下がっていて身体は楽だった。

先生から検査の結果を聞く。


「検査入院をしたほうがいいかもしれない」


とのことだった。
「近くに血液に関していい先生がいる。紹介状も書くから、いますぐ行けるかな」
なにを風邪でそんなに深刻に話すんだこの人は、とまだ思っていた。
インフルエンザの検査も、のど1回、鼻2回やって何も出なかったじゃないか。
「私よりも詳しい人がいる。はっきりとは言えないが、手遅れにならないうちにしっかり診てもらった方がいい」

わかりました。行きますよ。早く治して仕事に復帰するためにもね。そんな脅しみたいに言われても、イマイチ実感わかないけどね!
内心は不安だった。

18時過ぎていたと思う。
こんな時間にそれなりにでかい病院に来るのは、チャリで事故っていとこに連れてってもらって以来かなぁ。静かなもんだ。
先生には既に連絡がいっていたようで、速やかに診察室に案内される。


「検査入院、今日からできる?」


やはりそうなのですか!
自分では認めたくなかったが、入院しなければやばいのかもしれないと理解した。
「ご両親には伝えてありますか?」まだです。「じゃあひとまず連絡だけはしておいてね」わかりました。

父さん、母さん、おれひとまず検査入院します。もし可能だったら週末帰ってきてもらえますか?


記憶をたどっているため、若干の誤差があるかもしれないが、このような記憶である。
思いがけず長くなってしまったため、詳細はまた後日に。

2と3についても簡潔にいかに述べる。


2 記憶なし、風呂なし、仕事なし

入院直後はどこか安心したのか、高熱で1週間ほどあまり記憶がない。
会社の上司たちもお見舞いにきてくれたのだが、なんとかお礼を言えたくらいしか覚えていない。なんともふがいない。
食欲もあまりなく、栄養が摂れないとのことで、人生初の点滴も受けていた。
熱も上がりすぎると、記憶を飛ばすのである。

熱も下がり、身体に余裕が出てまず思ったのが、風呂に入りたいということである。
髪の毛がベトベトで気持ち悪い。
足が臭い。
男子の大事なところも気持ち悪い。
点滴がはずされ、シャワーを浴びられたときは、最高だった。

さらに(血液以外は)ほぼ健康に戻ると、まぁ毎日が暇になった。
入院された方はご存知だと思うが、21時就寝、6時起床である。
何とも規則正しい。
朝起き、血圧・体温等バイタルチェックを受け、朝食。日経新聞売店で購入、読む。あまりに暇なので当時はまっていた会計系の本を読む(小宮一慶、稲森和夫)。父が読んでいた池上彰の本をかたっぱしから読む。テレビは、、、昼はつまらなかった。
一刻も早く、福島に戻りたかった・・・

言いたいことは、『健康第一』であり、五体満足でおいしくご飯が食べられ、風呂にも入れて、やりがいをもって生活できる環境は、とてもありがたいということだ。


3 健康保険、高額療養費制度、養老保険

いざ退院が決まって治療費を支払う。30万近くだったと思う。
たしか3割負担だから、、、2週間の入院で約100万円かかるの!!!!
びっくりである。
もちろん治療の内容や差額ベット代などで大きく違ってくる面もある。
それでも実負担がその程度ですんでよかった。クレジットカードも使えたし。

また、入院のしおりの中にも書いてあった、高額療養費制度のおかげで、最終的に自己負担が15万円程度にまでおさまった。
これはひと月の医療費がどれほどかかろうとも、実質自己負担が8〜9万円程度で済むという制度である。
私の場合は入院期間が月をまたいでしまったということもあり、15万円かかってしまったが、それでもありがたい制度である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%A1%8D%E7%99%82%E9%A4%8A%E8%B2%BB

さらに、父が加入していた簡保による養老保険http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E4%BF%9D%E9%99%BAによっても、入院1日あたり5000円が支給され、保険ってこういうときに役立つんだなぁと思った。

これ以外にも、入院期間中も会社の有給休暇の消化によって給料が全額支払われていたし、仕事も自分がいなくなってもまわせる状態にしておくことの重要性についても学んだ(もちろん先輩がいろいろフォローしてくれていたのだと思う。感謝)

このように、給与から引かれている税金や社会保険料、そして社会保険のしくみによって、セーフティネットとして守られているのだなと身をもって実感した。

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