月曜日

月曜日の情報は、濃い

今日がたまたまなのかもしれない。
それでもやっぱり、濃い情報が多い気がする。

週末はTwitterのタイムラインやブログ更新などが減る傾向がある。
みなさん休んだり平日とは違う仕事をしたり、どこかへ出かけたりと、変化が生まれるのだろう。勉強熱心な方も多く、読書や講演会にいそしむ方もいる。

普段の仕事では得にくい情報を、違った場面で得る。
まったく関係のない経験から、何らかの気づきを得る。
その結果、月曜日には「濃い」情報があふれる気がする。


最近の私の月曜日は以下の流れで進む。

・7時半起床。8時までに前日のつぶやき等をまとめたブログ更新
・9〜11時までGunosyTwitter、ブログ、メルマガ(堀江貴文氏など)から情報収集
・20時頃までひたすらWeb関係学習・実践
 音楽や英語(TED、NHK語学など)、Twitterなどで適宜休憩


最近の気になる人は(敬称略)
・May_Roma
家入一真
佐々木俊尚
・竹内 健
・夏野 剛
・medtoolz

といった方々だ。
たとえば、MayRoma女史の「傭兵」的感覚にはとてもしっくりくるものがあったし、

日本で働いていく人も、これからは傭兵的感覚で仕事してく必要があるよ。会社なんて単に人が沢山集まって一人ではできない仕事をやるって場所に過ぎないから、自分にとってどのような利用価値があって、自分はそこで何を貢献して何を得るか。そして次はどこに行くか。自分の付加価値はなにか、と


佐々木俊尚氏(jptechcrunch引用)のつぶやきから、「リモコン」という最大の利権についての堀江貴文氏の意見を思い出した。便利だからこそ利権になるのだと。

リモコンの二つの重要な要素は、(1)何かをするために一つのボタンを押すこと、そして、(2)ユーザはデバイスを片手で楽にしかも完璧に扱えること>成功するモバイルアプリは現実生活のためのリモコンだ http://jp.techcrunch.com/archives/20120921great-mobile-apps-are-remote-controls-for-real-life/ … @jptechcrunchさんから


こういった方たちの考え方を聞いていると、改めて学ぶのっておもしろいなぁと感じる。自分もがんばろう!という気にさせてくれる。


★★★

ふと、自分の両親がこういった形で日々の思考を記録していたら、どうだったんだろうと考えた。
後に自分で振り返って、あぁ若かったなと思うのかもしれない。子どもや孫がそれを読む機会があったとき、こんなこと思ってたんだと思うのかもしれない。
きっと普段接している両親から感じるものとはまた違った印象を受ける気がする。その結果両親の印象がより豊かになり、「濃く」なる気がする。


私の祖母は認知症が進んできている。
ショートステイhttp://www.oyacare.com/know_youkaigo005)が受けられることになり、先日会ってきた。
入院中は体調も悪く、「寒い寒い」しか話せなかった。今では(痩せてはいるものの)元気になり、よく話すようになっていた。そこで話されることは、若いときの話である。特に子育て中の20〜30歳代のことのようである。

「(子どもが)よく泣くから表の○○川の土手に行って、私も一緒に泣いてた」
「(家のまわりに)おっきい家ばっかりが立って、それはもうびっくりしてたんだよ」

祖母にとって人生で思い出深いのは、子育て中のときだったのかなぁと。
今は落ち着いてる(ように見える)けど、当時はいろいろなことを思いながら懸命に生きていたんだろうなぁと。


なんともいえない気持ちになり、目に涙が勝手に浮かんできた。
グッとこらえた。
大学時代は福祉関係の勉強もしていたため、似たような場面には実習先などで経験してきた。「なんだくそじじい!」と笑いながら言い合える関係も築いてきた。
それでも身内だと、複雑な気持ちが先立った。


母からはよく「○○の資格は(更新もなく)一生ものなんでしょ?(地元に)戻ってくれば?」とか言われる。
「○○が福祉関係の仕事に就けば、施設に入りやすくなるんじゃない」といった冗談も言われる。

私は「待遇が悪い」とか「地元で儲かってるのが病院と高齢者施設しかないんじゃ魅力がない。ちゃんと稼げる産業をつくりたい」とか生意気なことを言っている。もちろん嘘ではない。


おそらく、必要以上に感情移入してしまいそうで、怖いのだ。
「仕事だから」と割り切れる自信がない。


それはまわりの親戚を見てきても想像できる。今までできていたことができなくなってくることであり、同じことを何度も繰り返すようになるのだ。
はたまたさっき食べたばかりなのに、まだご飯を食べていないと言い張ることであり、朝晩かまわず徘徊をしてしまうことなのである。

家事や仕事がそうであるように、本当に必要に迫られればやり切る自信と責任感はある。
それでも、できれば私生活で感情を揺さぶられたくないのであり、仕事ややりたいことに精一杯集中できる環境でいたいのだ。


ブログは私の日々の「遺言書」のようだ。


★★★


話がそれた。

私も月曜日に濃い情報を発信したい、というお話だ。