非日常としての宗教
「精神と時の部屋」としての宗教は、ありかもしれない。
知人に誘われ、ある宗教のイベントに行ってきた。
私は無宗教ではあるが、基本的に誘われたらとりあえず行ってみるタイプである。
先週は代々木上原にある、イスラム教の礼拝堂の東京ジャーミーにも行ってきた。
さて、会場に入ると、都心にもかかわらず軽井沢の別荘(イメージw)のように緑が多く、涼しかった。
「おかえりなさいませ」
ご主人様、とは言ってはくれないが、快く迎えてくれた。
受付を済ませ、通りにあるものに合掌し、中に入る。
「こうやって祈ってから入室するんだよ。これにはこういう意味があって・・・」
「庭がきれいで、落ち着くんだよ」
一緒に行った知人がいろいろと説明してくれる。たしかに庭は整備されていてきれいだった。会場も絨毯が敷かれていて落ち着く感じ。
行ってみての連想は以下の3つ。
1.わけのわからない言葉(お経)にはリラックス効果がある
無心になれる感じ。変な心地よさがある。
なーにを言ってんだこの人たちは、と思いながらも、このまま浸かっていたら楽かもなーという気もする。でもラクし過ぎちゃいそうで、それもなんかやだなーと。合唱とかにもこんな効果があるのかなー。
海外旅行に行ってアラビア語まみれの街を見たときのように、テレビニュースが早口の英語で聞き取れなかったときのように、自分にはさっぱりわからないものには、どこか心を洗練させてくれる効果がある気がする。
その後何か生み出たかというとまだわからないが、無心になれるのはたしかだ。
パンパンになったとき、ぽかーんと時間を過ごしたいときの居場所の1つにおすすめ。
2.技術を使った相談自動販売機
相談のレベル、具体性に応じて、自動販売機で相談料を払うシステムがあった。
難易度によって3段階に分け、その場で現金決済できるようになっていた。
価格設定もなるほどなーとうなずけるものだったし、相談を身近なものにしてるし、宗教法人あなどれない!
3.中年女性の生き方の1モデルの提唱
「専業主婦、高度経済成長時代を突っ走る主人を支える!」
という枠からはずれたか、自ら違う道を選んで生きてきた女性を応援している気がした。いわば、中年女性の生き方の1つのモデルを示している印象だ。
たまたまかもしれないが、会場にいる教徒の方には中年女性が多かった。
知人によると、九州はほぼ男女同数、北陸は几帳面な方が多いのか男女ともにきっちり並ぶなど、県によって地域性が出るとのことである。
教祖の方の過去の映像が流れる横で、熱心にお祈りを捧げている方の様子を見ると、きっとどうしようもないほど大変な思いをされてきたんだろうなぁ、ということが伝わってくる。
同時に教祖の方もいろいろあって苦労をされてきたということが流れると、こういう人に自分を重ねざるを得ないときもあるよなーと。
当時の時代の空気として、「女性は家庭に入るもの!」からはずれた女性は大変だっただろうなぁ・・・と勝手に感情移入していた。
「いってらっしゃいませ」
帰りがけには職員の方が声掛けしてくれる。「ご主人様も付けて☆」とは言えなかったが。
宗教には、いろいろな偏見や問題行動のイメージがついてまわる。
それでも、1つの発想の場として、こういう場があることを知っておいてもいいと思う。
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